「秋の空がいつもより高く感じる」。大学時代同じ研究室の先輩がそう言ったのです。「雲がないから、そのように感じられるでしょうね」と、私が答えました。
秋の青空を見る癖は先輩だけではありませんでした。私もそうです。雲が好きなのでいつも空を見るのもそうですが、雲のない秋の青空もとても好きです。小さい頃、お空に雲がないと、地球の外までつけて見えるのではとずっと思っていました。今日の青空を見て、小さい頃のことを思い出しました。
9月終わりはもう秋に入ったのでしょうか。早いですね。年をとると、このセレフが頻繁に口から出てしまいます。大人は忙しすぎるからなのでしょうか。小さい頃は明後日のことまでは想像できず、小学生の生活が永遠と続くと思っていた私です。
秋の青空を表す私の好きな表現があります。それは「証明写真の背景にも使えるように今日の空が青いんだ」との例えです。ベトナムの若い作家が綴った言葉。それを読んだ時、思わずドキッして、すぐに彼女のファンになりました。
昨日の竹内さんのニュースには驚きました。彼女の作品はまじめに見たことがありませんが、その若さで、また自分の意思で命を絶つことには悲しみを隠せませんでした。一番最初に思い浮かんだのは幼い子供たちのことです。どのようにこの真実を受け止めればいいのか、きっとわからないでしょう。そして、亡くなった人にはいいかもしれない(?)が、残された子供たちはこれからどのように人生を歩んでいけばいいのでしょう。それを考えると、胸がいっぱいです。
春馬さんの時と同じく、竹内さんのことについても自分が何んとなく理解できるようにいました。衝動的な行動かもしれないけど、理解はできます。なぜなら、自分もやってしまうかもしれません。時が違えば、歯車の進む道が一段だけ違えば、そのようになったかもしれません。なので、竹内さんの時も、ぐるぐる回った歯車が一つだけ違う方向に進んでいけば、今と違った結果になったかもしれません。かもしれない話だが、わたしの中では確信ができます。
今日、私がまだ秋の青空を見られることが神様のおかげでした。心から感謝しています。私の思い、私の願いを聞いて下さって、本当にありがとうございました。
怒りが盛り上がる最中に、家の近くのお寺に行って参りました。仏像の前に手を合わせて、どうか私を守ってくださいとお願いしました。誰かに何をするのではなく、私に何かをして下さいと神様にお願いしました。私の中の怒りの炎を消し、人を許すのではなく、自分を自分が許せるように神様にお願いしました。
そうしたら、不思議な事に数日後、心が穏やかに戻りました。誰かが何かをしていたからでもなく、自分が何かをしていたでもなく、舞い上がった渦が自然に消えていったのです。
体が軽くなった。心も軽くなった。それで私が気づいたのです。神様が私を救ったこと、神様が私を見捨てなかったこと、神様が私を愛していること、全てに感謝しています。
春馬さんのことも竹内さんのことも、きっと神様が愛していると思います。他人への失望、自分への失望を感じた時は、せいぜい神様への希望は捨てないで下さい。自我を捨て、手を差し伸べたらきっと救われると思います。

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